円高に対する私見
最近ニュースで
「円高により、輸出不振。不況を感じる人も増加」
という報道がされていた。
この時、私が感じた事は
「本当にそうだろうか?」
なぜならば、街行く人々の表情を見ると、前より少し明るくなっている気がするからだ。
そこでその理由を考えてみたところ、以下の2つが要因なのではないかと推察した。
1.消費者目線で見ると、円高による生活必需品への影響は少ない事。
2.目に見えるほど外国人観光客(特にアジア系)が減った事。
2に関して少し掘り下げると、日本国民は島国社会という背景もあり、「おもてなし精神」があると言えども、心の底には閉鎖的なスピリットがあるではないかと考える。
よって、街中で見かける外国人の数が減少すると、心のどこかでホッとする気持ちが生まれているのではないだろうか。
私の浅はかな知識では、論理的な見解はできないが、日本の経済云々は抜きにして、本心に基づいて考えると上記のような推察に至ったので、一意見として投稿させて頂いた。
今日、会社を休んでいます。
今日、会社を休んでいます。
それは、とある実験のため。
~2016年2月末の出来事~
上司「4月より東北へ異動です。」
この一言が始まりでした。
当時の私は愛知県に妻と二人で住んでおり、共働きをしておりました。
ちなみに私も妻も実家は愛知県ではありません。
妻も正社員ですから、簡単には仕事は辞められず、私のみ単身で東北へ赴任する事になりました。
「仕事が落ち着いたら、一緒に東北に住もう。」
「それまではお互い我慢の時期で、それぞれ成長しよう。」
赴任前の3月まではお互いにそう言い合って、前向きな気持ちでいました。
そして3月末、私の東北での住居への引越作業を手伝いに来てくれた妻を空港まで送り届け、出発ゲートをくぐるのを見届けた時、
スッ...
と涙が私の頬をつたいました。
私は当初、この感情は、妻と離れ離れになる事への「悲しみ」、「寂しさ」であると思っていました。
しかし、後ほど、そうでは無い事に気が付きました。
~2016年5月~
GWという事で私は約1ヵ月ぶりに妻と過ごすために愛知県へ来ておりました。
しかし連休中、妻は一日だけ仕事へ行かなければならない日があったので、その日、私は妻の仕事が終わるまで時間をつぶす必要がありました。
私の母は読書好きでした。
その血なのか、私も大学生3年生になる頃から本を読書に興味を持つようになり、社会人になってからたくさん本を読むようになっていました。
そして、その日もBook OFFさんで買った本を喫茶店で読んでいました。
その本に書かれていた内容が私の中でもやもやしていたモノを一掃しました。
その内容とは、
「あなたは今、自分自身の人生をコントロールできているか?」
この時、私は空港で妻と別れた日の涙の原因がわかりました。
それは、「悲しみ」でも「寂しさ」でもありませんでした。
それは、「悔しさ」でした。
なぜなら、今回の私の場合、お互い離れ離れに住むというのは、自分自身でゼロから決めた事ではありません。
本当は、人生の限りある時間の1ページを過ごしたい人と過ごせない、そんなのは絶対に嫌です。
そう考えると今の私は、明らかに人生をコントロールできていません。
それが悔しくて悔しくて堪らなかったのです。
ちなみに、私はこれまで「悔しさ」以外で涙を流した事がありません。
身内が死んだ時はもちろん「悲しい」とは思いましたが、涙は流しませんでした。
なぜなら、「人の死」は自分の力でコントロールできるものでは無いからです。
しかし、自分の好きな事、やりたい事、共に時間を過ごしたい人、場所などは自分でコントロールできる余地があるはずなのです。
特に先進国で上記がコントロールできないとは考え難いです。
そして裏を返せば、やりたくない事、嫌だと思う事をしなければならない状態はコントロールができていない状態といえます。
もしかしたら今日、自分が交通事故で死んでしまうかも知れません。
その時、この状況で悔いの無い人生であったといえるでしょうか?
言えなければ、きっとコントロールできていません。
そしてこの日から私の行動は変わっていきました。
~そして今日~
現在、私と妻は何とかこの状況を打破しようと色々と話し合い、私は様々な人へ相談もしました。
その結果、導き出した行動の指針は
「本心で考え、戦略を練り、行動に移す」
というものでした。
ここでようやく今日の実験内容に入ります。
まず、現在の私の本心は、
①「すぐにでも妻と一緒に住みたい」
②「九州、関西に住む家族と会う機会を増やしたい(今は遠くて年1回会えるかどうか)」
③「私も妻も関西にゆかりがあるので、少しでも近づきたい(今が遠すぎる)」
④「愛知県でしかできない業務があるので、そこで学びたい」
という4つです。
現在の私は特に①のウェイトが大きいですが、上記四つをコントロールできておらず、心が健全とは言い難い状況と言えます。
この健全ではない状態は私の中で「憂鬱」という感情になっています。
何かで聞いた事があるのですが、人間の「憂鬱」という感情はなかなか周りの人には伝わりにくいのだそうです。
確かに思い返してみると当てはまる事が多いように感じます。
「自分はこんなに苦しんでいるのに、誰からも理解されない」
「なんで自分だけがこんな目に」
「なぜ自分より我慢してなさそうなあいつが周りの評価が高いのだ?」
「こんな苦しんでいる時にそんな笑顔で話しかけてくるんじゃない!」
こういう感情は当の本人にとってはものすごくヘビーで重大な問題になっています。
ですが、なぜか周りからみると事の重大さがわからず、最終的にそのような人がメンタル面でドクターストップを受け出社できなくなってしまったり、会社を辞めてしまった時に初めて、周りの人はその重大さに気が付くのです。
なぜなら、そのような状況になるまで、周りの人にはその人の「憂鬱」が見えていないからです。
という事は、「憂鬱」という感情を抱えている人は、自ら行動を起こし、周りに見えるようにしなければならないと考えました。
そこで導き出した第一行動が、「自らの意志で会社を休むこと」。
なぜなら、初めから自分の憂鬱を上長や同僚に話しても、普段通りに出社し、仕事ができていては説得力がありません。
まずは行動で示し、目に見えやすいようにする事が優先です。
その後、周りに認知してもらったところで相談という形を取ろうと考えています。
これで最終的に私の「憂鬱」が消え、自分の人生をコントロール出来始めれば、実験は成功といえます。
もしこれが成功した時には、今現在、「憂鬱」を抱えている人には是非参考にして頂ければと思います。
そうして「憂鬱」を解消することができれば、あなたを初めとするあなたの家族、そして実は、あなたの会社にとっても良い事になるはずであると私は信じています。
そしてもし私が失敗したら、その時は私の実験結果をデータにして頂ければと思います。踏み台にしてください。
「憂鬱」は他の人のそれと比べる事ができるものでは無いと考えます。
ですから、「あの人と比べたら自分の憂鬱なんて取るに足らない」と考えるべきではないとも思います。
大切なのは、「自分がどう思うか」そして、「自分の家族や大切な人がどう思うか」を基準にする事であると私は考えています。
また実験結果が出次第、更新させていただきます。
ぷるび